2021年始まりましてもう2ヶ月が経とうとしています。
新型コロナウイルスに関して初めての発症者が出てちょうど一年が経ったというニュースが先日ありましたが、2020年はとにかくコロナで持ちきりでした。
2021年は何か変わりそうかというとコロナに関してはそう簡単に終わりが見えていないと私は思っています。
それはコロナが春先にかけて一旦へるにせよまたぶり返す可能性がありますし、検査による中国台湾型の封殺は考えにくいです。
また、ワクチンという起爆剤にすがるにしても効くかわからないのに加えて、ワクチンへの拒否反応が強い国なので摂取率を上げるのは容易ではありませんし、ロジスティクスの観点からも配備するのが日本では難しそうだしということでかなり厳しい状態です。
現実的にはだらだらと経済もダメにしながら感染症対策も歴史に名を残す無茶苦茶な状態を長らく続けることでしょう。
もちろん、2021年には多少変化は出てくると思います。
そもそもがワクチンなんて5年10年かかると言われていましたが、一年以内に摂取まで始めていて、ファイザーなどは有効性もイスラエルなどで確認されているというのは想定よりはるかに速いスピードではないでしょうか?
そういう意味で、人間の予想というのは努力によって当たらなくできる物だなと改めて感じます。
ただ、私には2021年は良い変化がたくさんある年にはおもません。基本的には悪い変化が増えると思われます。
その悪い変化の筆頭について今日は話したいのですが、是非本日紹介する内容の元になっている本をこの機会に是非読んでいただきたいと思っています。それがトマピケティの『21世紀の資本』です。
この本についてはほとんどの人が聞いたことがある名前かと思います。リーマンショックの後くらいでしょうか、当時学術書としては異例の売れ行きでした。
数年はピケティブームが盛り上がったと思います。
ただ、ピケティブーム多少は落ち着きが見られるようになってしまいました。
しかし、今のコロナのタイミングだからこそこのピケティの本は目にしておく必要があります。ピケティの述べていたことについて簡単に振り返った上で、なぜ今これを読む意義があるのかという話をしていきます。
間違いなく2021年に読んでおきたいおすすめの本だと私は太鼓判を押せます。
ピケティは何を言ったか。
最初にピケティについてご存知ない方、お忘れの方向けに非常に簡単にですが、私なりにポイントをご紹介します。
これを聞いていただくことで2021年になぜこれを読んでおくべきおすすめの本と言えるのかが見えてくると思っています。
まず端的に言えば、ピケティの功績はr>gという数式を提示したことなのですが、これの意味するところが重要なので少し補足します。
彼の功績はマルクスなどが述べていた資本主義が格差を生み出すメカニズムがあるという多くの人が薄々感じていたことを実証的なデータの裏付けによって示したところにあります。
それが、「r>g」という数式になります。
具体的にそれぞれが何を指し示すのかですが、「r」は資本収益率を示し、「g」は経済成長率を指します。
つまり資本収益率は常に経済成長率を上回るのだと、だから何かしらの介入をしなければ格差を正すことができず、最終的には分断の延長で民主主義を困難なものとするというふうに指摘しているのです。裏を返せば、格差を放置しておけば民主主義ではなくなることは時間の問題だということです。形式的な物がどうであれ。
もちろん歴史上経済成長率が資本収益率を上回ることはありました。
それ故にr>gが成り立たないというふうに思われる方がいるかもしれません。
r>gが歴史上唯一と言ってもいい質されたタイミングというのはもちろん第二次大戦後です。
ただこれは何もしなくて再現された物ではありません。むしろ資本が焼き尽くされたり、戦時体制による国家が莫大な資本課税をしたことがあります。
そういう意味では、歴史上は基本的にr>gのなすがままだったのだというわけです。
ピケティは現代の格差の大きさを深刻にとらえます。
これをただすには先に述べた危機に瀕している民主主義が機能するしかないだろうと言います。
そして民主主義により資本に対する課税をしなければならないと指摘をするわけです。
ピケティを今なぜ
さて、続いては、なぜ今ピケティの本が2021年に読んでおきたいおすすめの本となるのかという話をしたいと思います。
もちろん今というご時世を踏まえずとも格差が行きすぎている、そしてピケティが内部で批判している通り資本収益が世襲で継承され、資本主義が体現しているとされる価値観の実力主義がほとんど機能していないというところを正すべきだというのはいうまでもなくあります。
ただここではあえてなぜ2021年の今読むべき本なのかにフォーカスして私の考えを話します。
まず大きいのは経済成長率がマイナスを大きく記録しているような状態であるという社会環境を踏まえて読むといろいろと彼の挙げる事例が教えてくれることがあるのです。
おそらく今後数年間はgの平均値が数年間にわたりマイナスになる、よくて0という状態になることは避けられないでしょう。仮に一時的に浮上してもその前のマイナスの反動だということに過ぎないと思います。
そして、それに加えて潜在的には金融危機が別途起きる可能性も高まっています。3万円を突破したということなども報じられましたが、あれは全くポジティブなニュースではありません。
そういう意味で、10年20年の時間軸で見ればすごく厳しい時代だったということが振り返ると思います。
世界恐慌よりもおぞましい展開があるかもしれません。
さて、gの側が悲惨であるという時にrはどうなるのかというところが大事なのです。
私の見解を述べれば、明日も食うに困る人間を量産しながらもこえぶとるということを続けるだろうと考えます。
その根拠はいくつかあるのですが、ピケティのデータは少し古いですが、最近のものも含めてフォーブズの長者番付で上位に来るような人たちは資産を激増させています。
フォーブズの長者番付について2020年の9月に報じられた最新のものを少し紹介しましょう。
”フォーブスは8日、今年で39回目となる米長者番付「フォーブス400」を発表した。今年は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)発生にもかかわらず、番付に入った富豪400人の保有資産総計は前年比8%増の3兆2000億ドル(約340兆円)となり、同番付約40年の歴史で最高を記録した。” https://forbesjapan.com/articles/detail/36914
すごくざっくりした言い方ですけども、資本収益率が8%増えているんです。これを経済成長で肩代わりできるかというと不可能です。
日本の高度経済成長で奇跡と言われた成長率がそのくらいでしたが、今は世界が戦後最悪の成長率を記録しています。
その中で8%という資産増加率なのです。どこからとってきているかはいうまでもありません。労働者の側です。
もちろんこの記事にある通り「昨年番付入りした400人のうち今年姿を消した人は25人いました。うち10人は新型ウイルス流行が資産減少の一因となった」とあるので、コロナで影響を富裕層が受けていないかと言えばそうとは言えないでしょう。
しかし、社会の構成員としては個々の企業、個々の資産家で見るべきではなく、全体で見れば圧倒的に成長しているというところを見る必要があります。
なぜ個々で見るのがまずいのか。
これはピケティも言っていますが、格差を正当化する呪文になりやすいと言います。
ビルゲイツが資産を増やせばマイクロソフト役に立ってるし、当然だよな。
ジェフベゾスが資産を増やせば、アマゾンみんな使ってるし当然だよな、、、となるわけです。
これを当然という人に考えてもらいたいのは一つにはこれら人物が資産を増やすのが妥当だとしてここまで増やすのが妥当なのかというのがあります。これは少々道徳的な問題になってくるのはわかるかと思います。
ただ例を単純化すればおかしさはわかるでしょう。平時にABCDEの5人がいてそれぞれの年収分布が100 300 600 1000 3000 だとしましょう。
それが恐慌が起きたことで、富野を総和が1割減った上で0 0 300 900 3300という分布になったことをイメージしてください。
彼らの資産が天文学的数値になりすぎてリアリティを持ちにくければ数字を落として考えてみるのが大事かもしれません。
この3300の人がアマゾンの社長だとしましょう。
彼が世の中の役に立っているからこのようになるのは良いとすべきでしょうか?私はそうは思わないわけです。
そして現実問題としてはベゾスならまだしも世襲の金融資産の運用しかしていないような「役に立っていない人」たちが年収を増やしているというケースが超絶富裕層では多くおこっているのです。
先般話した投資銀行が最高駅や予想を上回る好業績というのを発表していましたが、あれがいい例でしょう。なんら役に立たずでありながら資産を爆増させているのです。
そういう意味でピケティの格差に対する問題提起は二段階あります。一つは全体として富裕層が資産を増やし続けるのはいいのかというもの。そしてもう一つが個別に社会的貢献性が高い、イノベーティブであるという理由を鑑みたとしてもそこまで増やすのが妥当なのかということです。
この辺りは豊富なデータサンプルがありますので、是非読んでみていただければと思います。少しピケティの本が私の中でおすすめの一冊として2021年に読んでおくべきだという理由が見えてきたでしょうか?
経済成長を前提とできるのか?
もう一つだけ考えておきたいことを最後に紹介します。
ピケティの問題提起として重要なのは経済成長を前提とする考えの転換についてです。
ピケティについてこういう読み方が少ないのですが、ピケティのメッセージとして経済成長が全ての痛みを和らげる、全てをよくするという考えを批判的にみています。
ピケティの本をそういう人にこそ読んでいただきたいと私は思っています。
これは混同して欲しくないのですが、経済成長を否定するというのとは別物だということです。
高度成長なども経験してきた日本を知っている今の生きている日本の世代というのはどうしてもあの時代のようにしたい、あの時代にまではいかなくても成長をしていきたいという思いは強いと思います。
ヨーロッパなども戦後は復興の過程で日本ほどでなくてもかなり高い成長率を誇りました。
しかしそういった時代に想いを馳せて経済成長を手段にすべきではないというふうにこの著書を読むとわかるのではないかと思います。
その理由は彼が提示する1913~2012にあたる100年が歴史において例外状態であるというのが大きいでしょう。
それ故にそこを参照し構想を練ることは正しいとは言えないということです。
これについて私がこの経済成長に関するピケティの言及で衝撃を受けたことがあります。
それは産業革命という近代史で最大の変化、最大の発展をもたらしたと言われる時の世界的な実質成長率です。どのくらいだったと思いますか?18世紀から20世紀の最初まででです。5%くらいはあったと思いたいところかもしれません。
ですが、ピケティによれば1700~1820年の第一次産業革命にあたる年代の成長率は世界平均で0.5%で第二次にあたる産業革命が1820~1913年は1.5%なのです。
世界が広いといえど、2%もないというのは衝撃的ではないでしょうか。
ちなみに17世紀より前はほぼ0で1913~2012は3.0%となっています。
この数字の解釈はいろいろ可能だと思います。
もちろん後の100年と同じになるように人類は進化しているはずだという進歩主義的な思考も可能でしょう。
成長率が増しているのは人類の発展の証だと。
しかし、私の感覚ではそれはあまり賛同できません。
なぜならば、それは日本もそうですが、先進国全体で0に向かって収斂してきているからです。
世界銀行などがここ数年発表してきた経済成長率を先進国のほとんどが超えたことがありませんから、平均の内訳で上に行くのは20世紀にそれほど経済成長をしていない国なのです。
もちろん低成長については日本の場合は政治的愚策も絡んでいることは批判しません。
ですが、優等生とされるアメリカでも実質で言ったら1~2%あったらいい方です。
アメリカの場合はインフレでごまかしているのでGDP自体は大きくなっていてうまくいっているようにも見えますが、以前も話した通りGDPに占める金融化がかなり進んでいることもあり、GDPが増えることが国としての豊かさや多くの人の豊かさとは一致しないことを体現する国になっています。
そう考えると人為的に名目値をいじりにいっても実態が伴わなかったり、虚業が増えるだけであるということも言えるわけで、そこに軸足を置くべきではないということです。
工場の自動化で生産性が爆発的に上がった、電気を生み出せた、飛行機や自動車を生み出せたはコーエンなども述べている通り、20世紀後半から21世期前半の社会変化より大きい発明だと思いますが、逆に当時成長率が世界で見ればそれほどでもなかったわけなのですから成長をKPIに置くのは良くないのです。
繰り返しになりますが理解していただきたいのはピケティもそうですがこれは成長自体を否定するものではありません。
成長は結果であり、手段ではないということです。産業革命の1回目と2回目の方が社会をひっくり返すイノベーションが多かったとすら思う中で、世界的にGDPの成長は2%もいかないのです。
今後経済発展途上の国が世界の成長率の上位をある程度占めていくことを考えれば、日本が毎年2%とかの実質的な成長を実現するというのは現実味がないのはもちろんそれが社会にとっての良さと接続するのかは非常に悩ましいのです。
そういった中で、話が冒頭につながるのですが、資本収益を爆上げさせる今の状態って相当まずいですよと、そこに手を打たないと社会が機能不全起こし始めますよと、そういうことを今考える必要性を学ぶ上でピケティは一番いいですよという話をさせていただきました。
他にも2021年に読んでおきたいおすすめの本というのはあるのですが、まずはトマピケティから!ということでご紹介させていただきました。